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連想出版のプレヒストリー―デジタルアーカイブの夜明けと連想情報学の原点

本の場

2022/09/19

9月8日の「本の場」ウェビナーでは、NPO法人連想出版理事長・国立情報学研究所名誉教授の高野明彦先生に、ご自身のキャリアの形成史やデジタルアーカイブとの関わりを語っていただきました。「WebCat Plus」の裏話を交えた成立過程をはじめ、ベテランの図書館関係者の方々にとっては懐かしくも耳新しいお話の連続で、興味の尽きないあっというまの90分でした。
以下の抜粋書き起こしでは、冒頭のデジタルアーカイブ黎明期のお話から、高野先生ご自身のキャリアの成立過程、ウェブとの出会いをどう受けとめ、原点である『DualNAVI』をどんな意図で開発されたのか、までをご紹介します。

高野明彦さん(NPO法人連想出版理事長

まず歴史的な、たぶん最近の話については来週、今日も来てもらっている中村(佳史)さん(連想出版理事)が中心になってお話いただけると思うので、具体的な最近の展開例については中村さんがだいたい絡んでいるのでそちらから聴いていただくことにして、今週の話は、どのくらい昔からこういうことにこんな観点で取り組んできたのかっていうことを、ちょっとプレヒストリーみたいな感じで聴いてもらえると良いかなと思います。

雑誌『DHjp』と吉見俊哉先生

いま(画面共有で)出しているのは『未来の国の連想エンジン』っていうもので、これは吉見さんと、東大の吉見先生っていう偉い先生がおられるんですけど、なんか対談する機会をいただいて。勉誠出版っていう、とても地味な出版社ですが人文系のけっこう良い、こだわりの本をいくつか出しているところで、分野によっては知られている出版社だと思いますけど、ここが『デジタルヒューマニティーズ(DHjp)』っていう、これからはこれが来る、って言って季刊の雑誌を創刊したことがあるんです。たぶんこの4号をもっていま休刊になっていると思うんで、ビジネス的にはぜんぜん成功しなかったんですけど、当時急な盛り上がりを、2014年だからもう8年も前ですが、その盛り上がったときに出した雑誌の、ひとつの記事です。古本屋さんかどっかで見つけたら眺めてみていただけたらと思いますけど、なかなか面白いいくつかの記事が載ってました。そのうちのひとつとして、吉見さんと僕が対談したということです。

連想出版のプレヒストリー―デジタルアーカイブの夜明けと連想情報学の原点

東日本大震災と長尾真先生の「ひなぎく」

吉見さんとはこれの前、震災のあとですね、3.11で、なんだろう、図書館に入ってる情報、博物館の情報を大切にしていかなければってずーっとやってたのがいきなり地震で吹っ飛んでしまうと、まぁそういうの馬鹿馬鹿しいねって僕は相当無力感を感じたんですね。で、無力感を感じたときに、じゃぁどうしたら良いの、っていうんで、長尾先生ですね、国会図書館の館長をその当時やられてたと思うんですけど、長尾先生が「ひなぎく」っていうプロジェクトを始められて、市民がいろいろ自分の周りのものをまた拾い集めて水で洗って写真撮り直してっていうようなことをやってる活動を、その被災後の一瞬だけ、まぁ数年は続くでしょうけど、数年だけそういうのが盛り上がって、そのあとまたどっかに消えてしまうっていうのはとても悲しいので、国会図書館というのはそういう情報もきちんとケアしていくべきなんじゃないか、ってことを、まぁ国会図書館長らしからぬノリでおっしゃってですね、「ひなぎく」っていうシステムを始めました。そのときに、僕はなんかの委員会で、拾い集めて整理するんだったらこういうところを気をつけてやりましょう、っていう一種のガイドラインを作ったり、そこにいろんな実際アーカイブを作り始めてる人たちの意見を汲み取りながらやっていくっていう活動の、まぁ司会者役みたいなことを引き受けたことがあって、それがきっかけで、本だけじゃない、それまではわりと本を中心とした情報をやってたんですけど、本と文化財が中心だったんですが、もう少し裾野を広く情報を捉えて考え直すっていう機会をいただきました。

その活動の中で吉見さんが、吉見さんも同じように感じてたらしくて、これまでのような象牙の塔って言うか、何かこうきれいなところ、非常に恵まれた環境の中できれいなことばっかり言ってても世の中こんななっちゃうんだねっていうことで、或る会で一緒になったときに同じような感想を述べられていて、あ、この人とは何か一緒にできるかもしれないなぁってことで親しくなったんですね。それでそのあと共著の本を出させてもらったり、いろいろしましたけども、今でも交流が続いてます。

デジタルアーカイブ学会

吉見さん、僕、あとは千代田図書館の立ち上げをやった柳(与志夫)さん、もともと国会図書館の人ですけど、そういうメンバーでデジタルアーカイブ学会っていうのをそのあと作って、そこで出会った人たち、心意気を同じくするような、でも育ちはぜんぜん違うところから育ってきたような人たち、っていうのがデジタルアーカイブっていうキーワードで結びついている。データが結びつくと言うよりはむしろ人が結びついて、活動が結びついて、今日に至るっていうようなことになっています。今でもデジタルアーカイブ学会はなかなか良い立ち上がりを示して、創立、もう5、6年になるのかな、500名を超えましたんで、700名って言ったかな?、なんか500名以上の会員が一気に立ち上がるようなかたちで、それなりに存在感のある学会になりました。それのまあスタートポイントはこの対談の辺りにあったんですね。

アカデミアの方から眺めると、これはヒューマニティーズという、紙と、古い資料と、自分で歩き回るという活動でなんとか研究を進めてきたヒューマニティーズの分野で言えば、それがデジタルの力、ツールを得て、素材自身も使える資料もデジタル化されるのが当たり前ってなったときに、学問としてのメソッドが変わるんじゃないか、という期待を込めた言葉がデジタルヒューマニティーズです。

分野によっては、確かに変化した、っていう分野もあるし、相変わらず大して変わってないね、っていう分野もあるように聞いています。地図なんかは非常に利用しやすくなったので、特にヒューマニティーズの中でも地図をわりと重要な資料として使うような分野は、まぁ化け始めてますね。Google Earthなんか見たらわかりますけど、まぁ、非常に。

出発点はプログラミング言語 ~人間とコンピュータを橋渡しする~

で、それが前振りですけど、じゃぁ僕はこういう分野、デジタル情報処理的なところになんで入ってきたかっていう話をすると、僕はもともと日立製作所でプログラミング言語という、みなさんはたぶん一生関係ない分野の技術をやっている人間でした。20年くらい日立に勤めて、日立の研究所を3つ4つ渡り歩いてそういうことをやってたんですね。プログラミング言語って何かっていうと、少しは勉強したことがあるかもしれないけど、まぁBasicのお化けみたいなやつですね。コマンドでいろいろやるべきことを書いて、やるべきことっていうのはコンピュータにやってもらいたいことっていうのを書いて、コンピュータを自分の家来のように使って、自分だとやる気が出ないようなタスクをやってもらう、という仕事です。なので、電卓を自分で押すんではなくて、電卓の押し方をあらかじめ教えておいて、じゃぁこの伝票を見ながらさっき教えたように電卓を押してごらんなさい、って言ってプログラムを走らせる、ってそんな仕事なわけです。

言語ですから、コンピュータも、まぁ人間ではないですけど、AIって知性を持ってるようなことを最近言われますけど、知性はほぼ無いわけで、数式の意味とか約束事だけは守ってくれるけれども、或いは疲れたりしないけれども、教えてないことは一切やらない、っていうのがコンピュータなわけです。で、人間はいろいろやりたいことっていうのが頭の中に渦巻いていて、こんな場合はああやってもらいたい、あの場合はこうやってもらいたい、予想外の場合が出たときはさあ困りましたね、その場合は僕に連絡してください、みたいなことをまぁ書いて、レシピみたいなやつを書いて機械に読ませて、わかる範囲で動いてくれ、わかんなかったら僕に連絡しろ、っていうような感じで仕事をするっていうのが当時から普通でした。

で、それによってだいたい、銀行のオンラインシステムとか、気象庁のデータを整理するシステムとか、数式処理のシステムとか、そういうわりとタスクがはっきりしていて、それ自身どういう根拠に基づいてやれば良いのかという数式みたいなものがはっきりしている分野だと、それでかなりなところへ行くわけですね。そういう分野をできるだけすらすらと、人間が考えるかのごとく、考えて教えれば機械がパッとわかるようなかたちの言語をデザインする、っていうのが僕の仕事だったわけです。

なので、人間という生き物と、コンピュータっていうまったく原理原則が違うようなものとの間の、共同タスクをするための橋渡しをするための言語っていうのをデザインしてたんです。そのためには、機械がどういうことが得意だとか、どういうふうに組み合わせて言うと機械は人間が思いもよらないようなややこしい組合せに対してもタスクをしてくれるのかっていう。一種のコンセプトって言うか、機械が問題をブレイクダウンする仕組みと、人間がやってもらいたい問題をブレイクダウンする仕組みが、対応がついてるっていう世界をつくるっていうのが発想なんですけど、それはなかなか単純ではなくて、原理がぜんぜん違うものですからそこをどう橋渡しするかっていうのが、当時からプログラミング言語屋さんのいちばん大変なところだったわけです。

で、やったのが、僕はファンクショナルプログラミング言語っていって、機械ができるのはどうせ数学で言うところの関数みたいに、つまり内部的な状態はほぼ持たずに、こんな入力が来たときはこういう計算をしてこう返しなさい、っていうことぐらいでしょう、と。そういうふうなことだけを書ける、そういうふうなことだけは、その代わり、ものすごく上手く書ける言語をデザインして、それを共通言語にしましょう、っていうのをやってたんです。僕自身の場合、バックグラウンドは数学なので、数学自身ではブレイクしなかったですけど、まぁわりと頭の構造とか考え方の基本っていうのはそこに親和性があったので、これは僕の仕事だなぁと思ってずっと取り組んできました。

ウェブの衝撃

ところが、1994年、5年、3年くらいかな、93年にオランダの国立研に1年間行かせてもらう機会があって行ったんですけど、そこでウェブと出会うんですね。日本では未だウェブは流行ってなかったですけど、オランダの僕が行った研究所はウェブをいちばん最初に採用した研究所、ヨーロッパの入り口になったような研究所だったんですけど、そこで、けっきょくウェブっていうのはこれからコンピュータの応用のものすごい範囲を占めるようになるんじゃないかな、という直感を得た、感じました。すなわち、人間がこういうタスクをしなさいってプログラムに書いていちいちコンピュータに教えるんじゃなくて、コンピュータはメディアっていうか媒介するものとしてだけ立ち振る舞って、協力するのはウェブの向こう側にいてウェブページを書いて発信する人と、ウェブのこっち側にいてなんか検索エンジンかなんかで見つけてきて、あ、ここにこういうことが書いてある、へぇそうなんだ、ちょっと数字を入れて自分の場合について計算してもらおう、っていうような。コンピュータは媒介で、入れるのも出すのも人間がそのかたち、その表現に直して自分のタスクなり何なりを提供する、っていうことになるんじゃないかなっていう気がして、なんかプログラミング言語っていくらやっても、なんか発電所の変電機、変電所をつくるとかですね、なんかいわゆる縁の下の力持ちの縁の下みたいな仕事になって、けっきょく表の、僕らが面白いと思って取り組んでた部分には、関わらないまま、このまま終わっちゃうんじゃないのかな、っていう恐怖感というか、詰まらなさを感じたんですね。

で、日本に帰ってきてからは、これからはウェブだから、ウェブが僕たちの情報空間、僕たちのタスク、物事を考えたりする部分に対して、どう影響するのかを考えたい、っていうふうにガラッと宗旨替えをして。そしたら、ちょうど基礎研究所というとこにいたんですけど、研究所でも、なんか新しいことやらないか、君たち、辛気臭い研究はちょっと止めてもらいたい、くらいのことを言われ始めてたときだったので、まぁちょうど良いなっていうことで乗り換えた、っていうのがスタートです。

百科事典が囁きかけてくるインターフェース

それで作ったのがこういうインターフェースなんですけれども、95年くらいに動き始めましたが、最初は英語でしか動いてなかったんですけど、これはその2年後くらいに平凡社の百科事典のウェブ上のサービスに、僕らが、まぁ研究成果だからあげないけど使いたいなら使って良いよ、って言ってプレゼントしたシステムです。世界大百科で9万項目くらいしか項目が無いんですね、今のウィキの10分の1くらいですかね、項目数としては。(共有画面は)「連想 無意識 想起 直感」っていうのをパッと引いた例ですけど、こういう4つとか5つの言葉を入れてポンと引くと、OR検索のようなことがされて、これが(画面左側)、だったらこういう順番にこういう項目を読んだら良いですよっていう項目のリストです。「コンプレックス」ってカチッとやると、たぶん2、3ページの百科事典の項目が読める、というふうになるわけです。「連想 無意識 想起 直感」で、僕たちが百科事典で読み取りたい、ってどういうことかと言うと、なんかいろんな情報が向こうにあるときに、人間は無意識の下で連想を働かせながら何かを思いついて、それについて百科事典を引いたりして、そこから読んだものについて、何らかの直感を得たりしてまた次そういうことをやるっていう、まさにこういうインターフェースを使うための動機付けみたいな言葉ですよね。

連想出版のプレヒストリー―デジタルアーカイブの夜明けと連想情報学の原点

こういうものを引いて百科事典にはじゃぁそういう話題はどのくらいあるのって訊くと、
(画面右側)これくらいの答えを返してくれるわけですね。知識が或る程度ある人は「ユング」っていうのを見てなるほどって思うだろうし、「夢」、夢の解釈、あぁなるほどね、とかっていうふうにわかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。もう少し掘ってくとフロイト繋がりで「ソファー」とか出てくるんですけど、あ、なるほど、何とか連想法かな、とか、自由連想法の先をやるのにはソファーに座るのがいちばん良いとか言ってフロイトがやってたのかもしれないね、とかいうようなエピソードを何か思い出しながら。そういうのを思い出したっていうことは、自分の頭の中はそっちにガーンって振られて、実はけっこうなコンテクストスイッチが起きてるわけですね。

で、そういうインタラクションをデザインするのはとても面白い、と。百科事典にどういうことが書いてあるか見つけてくるなんていうのは、Googleみたいなところに任せておけばいいわけで、キーワード検索で探せば良いわけですよね。探して早く見つけられれば、東大王かなんかのクイズには早く答えられるようになるかもしれないけど、だからと言って新しい発想が生まれるわけでも、東大王に答えてる回答者が素晴らしい理論をつくるわけでもないわけですね。

なので、知識に辿り着いてそれを得るっていうことは、どちらかと言うとなんか答えが固定化しちゃって詰まらないところに決まるってことでしかないので、そんなことを僕たちはサポートしたくなくて、百科事典のように、たぶん一生かかっても全文を読むってことはないような塊に出会ったときに、僕たちはそれを、僕らなりの個性を活かしたかたちで、僕にだけ語りかけてくれるような囁きを得たいわけですよ。で、それが違えば違うほど嬉しいわけ、僕のようなへそ曲がりな人間は。中村さんが訊いたときに答えてくれるようなことは僕には答えてもらわなくて構わない、と思ってるわけですよ、本心は。でも僕にとってはグッと来る、或いは同じのが出たって中村さんには読み取れないかもしれない。隣でほぼ同じ活動をしてる人だってピックアップできないようなものを僕がいくつかピンときちゃったり、あぁそうだ、確かねぇ僕が高校生、高校1年だったと思うよ、みたいなことがバァッと浮かんでくるっていうのが、これが僕は重要な情報サービスだと思うわけです。

「DualNAVI」は検索のアヴァンギャルドだ!

ウェブのように百科事典どころじゃない、当時だってはっきりしてたわけですけど、今ではもう誰の目にもはっきりしてきたように、ぜったい一生かかったって辿り着けないような情報量を僕たちが日常的に前にして、原理的には辿り着けるっていう状況に置かれたときに、そんなものに辿り着かせられたら、まぁ神経衰弱になっちゃうわけですね。読みきれないような文章量をばーーーっと回されてYouTubeを朝から晩まで観てるのとほぼ同じですよね。ほとんど意味のある言葉と出会わない1日っていうのを過ごすようになるわけです。

これはたぶん僕たちが子どもの頃にはありえなかったわけね。どんな詰まらない田舎の本屋さんに行っても、詰まらなく見える、なんとなく古びて埃をかぶった書棚の中でたった1冊の新書を手にして、まぁこれ何回も見てるけど立ち読みはそっとしたことはあるけど買うところまではこなかったけど、今日は買ってみよう!、って言って買ってみる、と。それで買ってみて過ごした1時間2時間っていうのは、やっぱりものすごい決定的な1時間2時間になるわけですよね。そういうような体験を僕たちはずーーっと持ってたのに、ここにきてウェブが開放され便利になりました、GoogleEarthで昨日行った場所、1ヶ月前に行った場所、全部時間も含めて再現できます、へぇーあのとき左側に見えた店は○○っていう店なんだ、前を通ったときは気づかなかったけどなるほどね、なんていうのがわかる人生っていうのは、何かを生みだしてるのかっていうのを思うわけ。それによって失ってることの大きさっていうものに、僕たちはあまりにも無頓着じゃないか、っていうふうに思うわけですね。ちょっと年寄りの冷や水みたいになってきた(笑)

それでこれ(「DualNAVI」の連想結果)が出たときに、ものすごく嬉しかったんです。これは、まぁGoogleはもちろん書けないだろうし、今もこういうのを出すのはどうかなって言って彼らはやってないし、百科事典のような本物のコンテンツをしゃぶり尽くした状態でユーザーに提供するっていうのは、なかなか、コンテンツを作ってて、しかも著作権まで含めてクリアしてないと、なかなかできないサービスですよね。今でもやりにくいサービスだと思いますけど、当時たまたま日立デジタル平凡社という子会社が百科事典を電子化してサービス始めましょうってことをやっていて、たまたまそれを言い出してる人と僕は前から知り合いだったので、僕らの技術を取られちゃうのは嫌だけど、すごいぞ、っていうふうに言ってくれるんだったらいくらでも出しますよって言って、提供したんですね。これを荒俣(宏)さんが見て、これは面白い!、と、「DualNAVI」っていうんですけど、「DualNAVI」は検索のアヴァンギャルドだ!、って言ってくれたわけ。

これは当時、Googleは出始めてたけど、AltaVistaなんかが天下を取ってる頃ですね、そういうときにだんだん、多くの情報、情報の量が多ければ嬉しいっていう活動をずっとしてきた人たちにとっては、博覧強記を勝負にしてたような人たちは、そこじゃ勝てない、っていうことになるわけですよね。機械には勝てない。そのときに、人間的なものって何かな、とか、自分が勝てるもの、自分の強さって何だろう、ってことをいろいろたぶん荒俣さんにせよ松岡正剛にせよ考えたと思うんだけど、そういう人たちにとってちょっとこう琴線に触れるものがあった、っていうのが僕はとても嬉しくて。荒俣さんは日立シンパだったって言うか、たぶん平凡社のそういうサービスの宣伝部長みたいな感じで、平凡社が彼の根城だったから、そういう意味では応援してくれてたっていうのがあるんだと思うんですけど、その言葉を或るエッセイみたいなものの中に書いてもらったんで、すごく嬉しくて、あぁこれは間違ってないなっていうふうに直感したのを覚えてますね。ということで、これが僕の原点です。

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