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学芸員、ウィキペディア編集にハマる

本の場

2022/08/31

8月25日の「本の場」ウェビナーは、ウィキペディアタウン編のまとめとして「実践編」をお送りしました。実践していただいたのは荒尾市文化企画課の学芸員・野田真衣さん。ウィキペディアン・漱石の猫さんの指導の下、ご自身の専門でもある郷土の偉人「宮崎滔天」のウィキペディア記事を編集していただきました。
ウェビナーは、漱石の猫さんによるウィキペディア編集のガイダンスに始まり、野田さんから宮崎滔天について説明いただいたのち、実践に入りました。野田さんのアカウント作成が最初なかなか上手くいかなかったときは少々焦りましたが、野田さんのしっかりした準備と漱石の猫さんの的確な指導によってその後はつつがなく進行、無事「宮崎滔天」記事のリード文を全面改訂し、「略歴」を「生涯」と直して細かな章立てに仕立て直し、そのうちの「大江義塾期」について大幅な加筆修正が行われました。
実践終了後、「正直かなり楽しかったです!」とウィキペディア編集にすっかりハマってしまわれそうな野田さんが印象的でした。以下では、終了後の参加者同士のやりとりの一部を書き起こしてご紹介します。

学芸員、ウィキペディア編集にハマる

今井太郎(本棚演算株式会社)
ウィキペディアン・デビュー、でしょうか。おめでとうございます。

野田真衣さん(荒尾市文化企画課)
ありがとうございます。
いやちょっと、かなり楽しかったです、正直。やっぱり学芸員の人たちってみんなそれぞれに拘りを持っていらっしゃると思うので、おそらく追究しだすと止まらないのではないかなと、私もたぶんハマるんじゃないかなと思ってます。

漱石の猫さん(ウィキペディアン・edit Tango)
もうがっつりハマっていただいてひきつづきガンガン編集していただけたら、すごく良い記事になると思います。

野田さん
ありがとうございます。

川崎安子さん(武庫川女子大学)
これ、野田さん、ぜひ荒尾でウィキペディアタウンしたいですね?

野田さん
そうですね。荒尾の方でもやはり郷土の歴史とかに興味を持って毎月そういう勉強会をされてらっしゃる団体さんとかもあられますし、前々回とかの伊達さん(京都府立丹後緑風高校久美浜学舎)の報告をお聴きして、学校での取組みとかいろんな展開が期待できるかなと思ったので、ちょっと試験的に、今年度中にでもぜひ何かできたらなぁと思います。今回「実践編」をさせていただいて、すこしハードルが高く思ってたんですけれども、いろいろ懇切丁寧に教えていただいたお蔭でそれほどストレスを感じることもなく進められたので、ぜひこの楽しさを多くの人に体験してもらえたらなと。たぶん実際自分で作ってそれがホームページに公開されるということの楽しさみたいなのもあると思うので、市民の方とかも対象に、そうした取組みの結果より良い記事が出来れば素敵だと思うので、まずは小規模ですこしやってみたいなぁとは思いました。

川崎さん
そのときはぜひ、今井さん、我々も馳せ参じたいですね。

今井
そうですね。それまでに練習しとかないと、なんか、役に立つのかどうか…。

学芸員、ウィキペディア編集にハマる

学芸員、ウィキペディア編集にハマる

川崎さん
これ、やっぱりリード文は大事ですよね。Googleで検索したときモロに出ますもんね、検索結果のところで。

漱石の猫さん
そうですね。直後には反映されませんが、今回の文章にいずれなっていくと思いますし、単純にウィキペディアで読んでいる人も、このリード文で読んでみようかなと思わなければ読まないので、ここに書いてあることが適切でないと誤った認識を持ってしまう、っていうのはあります。そういう意味でも、読みやすさというのが或る意味大事ではあるんですけど、単純な文体の読みやすさだけでなく、読んでみようかなという気にさせる、興味を持たせるという、そういったような記事構成とか、あとエピソードみたいなのも大事になりますね。

今井
かんたさんから、「リード文、大事です。(宮崎滔天のウィキペディア記事は)初版から肩書は『革命家』だったようです」とコメントいただいています。(当初のリード文では滔天の肩書が「革命家、および浪曲師。」と表記されていたことを受けて)確か、宮崎兄弟資料館を見学したときの野田さんの説明ですごく憶えてるんですけど、宮崎滔天は浪曲が下手だったんですよね?下手というか、声が悪かったんですよね、確か?

野田さん
ああ。そうですね。元のウィキペディア記事にも書いてあったんですけど、彼自身が日ごろ話してるぶんにはすごく流暢にと言いますか、弁舌が、まあ良かったそうなんですが、人前で発表みたいなかたちになると途端に喉がきゅって詰まって声が出なくなってしまって、なので浪曲とかも実際に唸ったりというのはあまりできなかったみたいで、ちょっと巡業みたいなこともやってるんですけれども、あんまり成功はしてなかったみたいですね。なのでリード文に出てくるほどの肩書ではなかったのではないか、というふうに思います。

川崎さん
「浪曲師」って書いてあったのにすごい反応されてましたもんね、野田さん。「おかしいわっ」とか言って(笑)

野田さん
そうですね。たぶん或る程度知っている方だと、やはり浪曲師というのは…。ほんとにずっと、たとえば若い頃から修行とかしていてそれに身を置きながら一方でそういう人たちと関わりがあって支援していた、ならわかるんですけど、あくまで彼の場合って、革命運動がいったん挫折してしまって、そのときに一歩引いたところで革命運動について(世間の)理解を深めていきたいといったところで、当時大衆にすごく人気のあった浪花節、浪曲っていうのを使おうとして、もともと浪曲自体はお父さんとかも酔っ払ったときにやったりとか、身近なものだったそうなので、好きな唄を唄って革命運動について理解が深まって且つお金が入ってくるんだったらこんなに美味しいことは無いんじゃないかっていうような感じで、突然奥さんが止めるのも聞かずに浪曲師になってしまったという…。ほんとにその活動をまともにやっているのが数年だけの話なので、そういった意味でもいろいろ違和感を感じてしまっていました。以前からこのウィキペディアの記事はどうかなぁと思いつつ、失礼ながら「まぁウィキペディアだからな」と諦めていた部分がどこかありまして。やっぱりアカデミックな部分では未だウィキペディアは…っていうお話をずっとされてましたけど、なのでまぁ、敢えてそこをいじろうという気はこれまで無かったんです。
けれど、今回いろいろお話を聴かせていただく中で、やはりGoogleでパッと、ほんとほとんどの方がGoogleを使われていて、そこでの紹介のときにパッとあのデータが出てきてしまうっていうことは、やはりそれに携わる人間としてそのまま放置するのはいかがかなというふうに思ったのと、やはり今後いろいろ活用を、郷土学習であったりとか、地元の方々も歴史好きの人ってどうしても年配の方が多いので、こういう作業を通してもっと若手の方にも興味を持っていただいたりもできるのかなぁと思ったのと、あと知らなかったんですけど、今回このページを見たら、宮崎滔天のページってインドネシア語だったりドイツ語だったり、他の言語でも何個かあったりして、引用の文献を見ると英語とかで孫文の革命運動を支援した日本人のうちに出てきていてそこから作ってきてくださってるみたいなんですが、それを考えたときに、将来的にはたとえばいま荒尾に来ている外国人の方とかに勉強をしてもらいがてら自分の母語でそういったのを紹介するみたいなことをしてもなんか面白そうだなぁ、というふうに、自分がさきほどの話(宮崎兄弟の功績によって現在も中国・台湾・シンガポールと荒尾市との交流が続いている)の流れで日中交流とか、台湾とかシンガポールとの交流っていうのも担当させていただいている関係もあって、外国人住民っていうのが荒尾でもちらほら増えてきているという現状ではあるので、ツールとして、市民が交流していく場としてウィキペディアタウンって感じで、荒尾の人と外国からやって来た住民の人とが一緒にページを作っていくっていうのがあってもなんか面白そうだなぁ、というふうにいろいろ妄想が広がりまして、とても面白かったです。

今井
あ、またかんたさんからちょっとコメントいただいています。「英語版だと滔天の肩書が『哲学者』(philosopher)だったりして、へ~って思いました。」

野田さん
ほぉー、そうですか。たぶん思想家的な意味合いで「哲学者」なのかなと思うんですけど、そんな哲学的に考えた人でもないかなと思います。お兄さんの民蔵さんはわりと考察を重ねていってそれこそいろんな世界の宗教なんかも勉強してっていうふうにやっていて哲学者らしい、まぁ哲人みたいな、そういうふうに評価されることもあるんですけど、宮崎滔天はやはり、彌蔵さんが基本的に考えたことを実行していったっていうようなところが強いので、そういう意味でも今回の社会的活動家っていうような表現の方がぴったりくるかなと思います。ちょっとそれに合う英語の言葉がわからないですけど。今うちに国際交流員がシンガポールから来てくれてますので、今後英語版の方も彼女と一緒になって適宜すこし手を入れていけたらなと思っております。

川崎さん
でもさっきの8言語ですけど、英語版を元にほか全部訳してる感じですね。ぜんぜん日本語版に一致してないように見受けられるんですけれども。

漱石の猫さん
英語話者の方が圧倒的に多いので、英語版から訳されやすいというのはあります。逆に日本語版が充実してそれを英語版に載せていけばそこから一気に広がっていくのが、ウィキペディアタウンのひとつ良いポイントというか、目標になるかなと思います。私は残念ながら英語が全然ダメなので、日本語でばかり書いていますが。
やはりそんなふうに他言語版に翻訳されていくとか、或いは日本国内であっても、たとえば東京から修学旅行で来る小学生が事前勉強で読んでくるとすれば小学生が読んでもわかるくらいの感じの文体とか、読み進めたくなる内容、土地勘の無い人にもわかることを前提に、そういう、いろんな読者を想定してわかりやすく、みたいなのが、書いていくうえでひとつポイントになってきます。現在の(本日編集した宮崎滔天の)記事ですと、リード文のところに「近代日本の社会運動家」とか「近代日本で活動した」とか、なにかしら時代と場所がわかるように書いていないと、海外の方がそのまま翻訳されたこれを読んだときに、どこの国の社会運動家かわからないっていうことが起こりえますので、その説明がちょっと要りますね。たとえば場所の記事とかを作ったときも、地元の記事を書いていると地元だからついみんな知っている前提で除いてしまいそうになるのですが、京都府京丹後市どこどこにある…っていうように敢えて書かないと。そういった「多様な読者をイメージする」ことがより良く書くポイントになるんじゃないかなと思います。

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