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私たちはウィキペディアの真実を何も知らなかったのかもしれない

本の場

2022/08/10

「さまざまな考えを持つ利用者が、さまざまな目的のためであっても一定の方針に基づいて関与し、結果として多様性を内包した百科事典が形成される―このウィキペディアの特徴が私はとても好きだな、と思っています。」
8月4日の「本の場」第9回ウェビナーでは、ウィキペディアン・漱石の猫さんをお迎えして「「ウィキペディアタウン」が繋ぐ地域と図書館の可能性 ①」をお送りしました。すさまじい実践経験と溢れんばかりのウィキペディア愛に裏打ちされたお話の情報量と熱をお伝えするには、実際に全編を視聴いただくしかない気がしますが、ともあれ、漱石の猫さんとウィキペディアとの出会いのくだりを中心に、以下に抜粋書き起こしをお届けします。
私たちはウィキペディアの真実を何も知らなかったのかもしれない

改めて、自己紹介を申し上げます。漱石の猫と申します。
私は2018年1月に初めてウィキペディア編集に参加して、まだ4年くらいのわりと新参者です。2018年という年には、既に1Lib1Ref運動やウィキペディアタウンも盛んに行われてLibrary of the Yearも受賞したりもしていましたが、当時私の周囲には、そんな図書館界隈の最先端とかウィキペディアコミュニティの気配というのは欠片もありませんでした。私自身当時は何か調べ物をするといったらかなり絶対的な図書館信奉者でしたが、周りの人たち、特に若い世代はそうじゃないんですよね。みんな何か調べるっていうとウィキペディアばっかり使っていて、私がなんぼ本を買ってやってもぜんぜん読んでくれないので、「これはちょっと私もウィキペディア勉強しとかんとあかんのちゃう?」と、そこはかとなく危機感を覚えまして、とりあえず勉強がてら手元にあった本でちょっと新しい記事を書いてみたのが、この道に足を踏み込むことになったきっかけでございます。
最初の頃は、1記事当たり半日くらいで、まあパソコン画面でスクリーンショット1枚2枚に収まっちゃう程度の小さな記事をいくつか書いていました。これが意外とですねぇ、ジグゾーパズルを黙々とつくるみたいなのに近いリラックス効果があって、休日の楽しみになっていきまして、写真を撮ってきて入れてみたりとかだんだんビジュアルにも拘ってみたり、郷土料理とかですね、旅行に行ったらとりあえず写真撮って美味しくいただいたあとはウィキペディアの記事に貼るというようなことがルーティンになっていきます。
この頃はほんとにウィキペディアの、ただ文章を書く以外のコンテンツについてはまったく把握していないままに始めましたので、いろいろ基本的な編集方法を間違えたりもしていて、見えないところでウィキペディアの中の人にたくさんお世話になっているんですが、編集履歴を見比べて変わったところを真似して覚える、で、ちょっとずつちゃんと書けるようになっていくのが、なんか面白かったように覚えています。
私たちはウィキペディアの真実を何も知らなかったのかもしれない
まあそんな感じで私の編集活動は休日の趣味レベルの、いわゆるよくいる無名のウィキペディアンだったのですが、大きな転機は2ヶ月後の或る日突然やってまいりました。
いつものように、手元にあった本でちょちょって書いたこの「藤織り」という記事、これは日本全国で私の地元である丹後地方にのみ継承されている藤の蔓の繊維で織った織物なのですが、その記事が「メインページに掲載されていますよ」と或るウィキペディアンからお知らせをいただいたんです。なんかわからんけど、わざわざ知らせてくれるんだからすごいことらしい、ということで、初めてウィキペディアの記事を書く以外のページをまともに読みました。
このメインページには、ウィキペディアの中から選ばれたさまざまな記事や画像が、日替わりとか3日おきくらいで紹介されています。通常インターネットって知りたい言葉を検索窓に入れて検索しますよね。知らない言葉はそもそも検索しないので、知らないままっていうのが一般的なんですが、知らない言葉でもクリックひとつでアクセスできるのがこのメインページに掲載されるということでもありまして、記事によっては普段の数百倍アクセスが増える、多くの人に読んでもらえるチャンスがある、そういうページになっています。この真ん中の辺りにある「新しい記事」になにがしかの理由で「藤織り」が注目を集めて掲載されましたよ、というお知らせだったわけです。
「新しい記事」に掲載されるのは1日だけなので、まあ私が盛り上がったのも一瞬ではあったのですが、本当の転機はこの1ヶ月後にやってまいりました。ウィキペディアには編集者のモチベーションを上げるためにさまざまな記事を顕彰する制度が設けられていまして、「新しい記事」もそのひとつなんですが、毎月100本以上ある「新しい記事」に掲載された中からまた内部投票があって、この翌月に得票数の多い5本以上が月間賞というのを受賞すると、自動的に「良質な記事」選考という査読に掛けられます。で、また当時の私はまったく把握してなかったのですが、「藤織り」はこの月間賞を受賞して「良質な記事」選考に掛けられていて、ほかのウィキペディア編集者の方から内容についてご意見をいただいておりました。「藤織り」って記事名だけど丹後の「藤織り」のことしか書いてないじゃない?かつては全国にあったんなら全国の事例も書く必要があるんじゃないですか?というようなご意見だったのですけど、これすごく納得したんですね。そもそも私、丹後の出版物で丹後の項目を書いていたので、ご指摘通り全国的な視点は欠片も持ってなかったんです。で、そうか、丹後のだけじゃない百科事典だからいろんな角度から解説しないとダメなんだ、ということをここで改めて思い出しまして、真面目に何か勉強したの昔のこと過ぎて忘れていた学生時代に戻ったみたいな感じで、すごく楽しくなった覚えがあります。

それで、よし、じゃあちょっと調べなおすか!、と気軽に図書館に足を運んだわけなんですが、これがねぇ、甘かったんですよ。昔全国にあったって言っても今うちの地元にしかない庶民文化なんて調べてもそんな資料ないだろうってタカを括ってたんですが、それが調べているうちにポロポロと見つかってしまって、最終的に全国百数十箇所っていう痕跡が出てきてしまったんです。最初から百箇所あるってわかっていたら、たぶんそんなに加筆がんばらなかったと思うんですけど、調べていたらでてきちゃったので、ひたすら「藤織り」を編集し続けるみたいなことになってしまい、これは当時の私の編集記録の一部なんですが、1ヶ月で300回以上、「いつ終わるねん!」て思いながら連日「藤織り」を編集し続けておりました。これは当時の私のSNSのつぶやきですね。寝ても覚めても頭のなか藤でいっぱい!、みたな感じで、出張に行っても旅行に行っても先々で図書館とか郷土資料館みつけたらなんとなく入ってしまい、なんとなく織物の本とか民俗学のとこ行って「藤織り」に関する資料を探してしまい、見つけたら編集していくっていう感じで、1ヶ月で70冊以上編集に使っているので実際に目を通した文献はその数倍あったと思いますが、そうした甲斐がありまして、「藤織り」は無事に「良質な記事」に認定されました。

私たちはウィキペディアの真実を何も知らなかったのかもしれない
そんな感じに全国の事例を調べていく過程で必然的に丹後の「藤織り」についても新しい情報がたくさん見つかったので、そこだけ読んでも月間新記事賞をいただいた最初の記事とは完全に別物になっています。まあ長けりゃいいってものでもないのですけど、単純にバイト数だけ見ても11,683バイトだったのが219,757バイトにと大幅に増えて、選考で賛成票を入れてくれた人も「レビューのために読んだけど心が折れそうな長さでした」って言ってくださったくらいな感じになってしまったんですが、私個人としてはこの加筆したことでのいちばんの収穫は、とことん調べることで、それまで知っているつもりだったけどぜんぜん知らなかったっていうたくさんのことがあるということに気づけた、というのがあります。やっている最中は無茶苦茶たいへんだったんですけど、苦労したからこそやり遂げた喜びが長く続く、という、それまでの一瞬の「やったー!」っていうのとはぜんぜん違う充実感があったように覚えています。

私たちはウィキペディアの真実を何も知らなかったのかもしれない
京都府北部地域でのウィキペディアタウンで最初に主催者になってくれたのは、「この町のこせ!」という合言葉を掲げてまちおこしに取り組んでいた「こまねこまつり」という京丹後市峰山町の民間グループでした。過疎地の地域活性化って言うは易しですけど、まず人口増えないとどうにもならないので、イベント打ち上げてどうにかなるかって言うとほぼどうにもならなかったりするわけですが、こまねこまつり実行委員会は町を「おこす」のは難しくても「町をのこしたい」という思いを強くお持ちで、中には町の旧い風景写真をご自分でデジタル化していてそれを現代の地図に投影するかたちで世に公開できないか、というような構想を持っている方もいらっしゃいました。
そこで私たちのウィキペディアタウンは、まず町や「こまねこまつり」そのものを広く知ってもらうための情報発信に重きを置いて、広く知られることでまちおこしに繋げる、同時にウィキペディアという半永久的に情報が保持されるウェブサイトにこの町の痕跡をアーカイブしてのこす、ということがウィキペディタウンの主眼になりました。

私たちはウィキペディアの真実を何も知らなかったのかもしれない

こうしたウィキペディアタウンで作成されたウィキペディアの記事が実際どんなふうに役に立っているのか、たぶん影響したよね、っていうのは多々あっても、因果関係を明言できるケースはそんなに多くないと言いますか、通常なかなか把握できないところなんですけど、ダイレクトに反応を聞いている具体例をいくつか紹介します。
ひとつめは、「ウィキペディアが調査研究に便利だよ」っていうのが明らかになった、まあ当たり前かもしれないんですが、そんな事例なんですが、御旅市場という、こちらの商店街の方々は当初まったくウィキペディアに注目されていなかったんですが、商店街の活性化のためにはもっと自分たちの活動を宣伝しないといけないという意識があって、インターネットが鍵だとは思ってらっしゃったんですね。そこで、大阪の方で実績のあるコンサルタントに、公式ホームページを改善するための勉強会の講師をお願いしたところ、仕事を受けたコンサルさんが講義でおっしゃったことが、ウィキペディアの御旅市場を見て参考にしなさいっていうことだったそうで、「仰天しました」と報告をいただきました。地域から遠く離れた場所に住んでいる人の方がウィキペディアで地域情報を調べている、ちょっと調べるのにウィキペディアって便利だなぁ、っていうのがまさにインターネットの醍醐味かという気がいたします。

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