6月23日の「本の場」ウェビナー第4回では、過去3回で登壇いただいたメインスピーカーの方々に、もっと突っ込んで聴いてみたい(すこし不躾な?)質問をいくつもぶつけて、率直に答えていただきました。「今回のプロジェクトではほんとに荒尾市にとっての味方が多かった」という教育委員会の宮脇さんの言葉や、「対立を持ち込んだ方がむしろ良いものができる」というケイ・ニー・タン・アーキテクツの川上さんの発言等々、実感溢れる印象的な言葉をたくさん聴くことができました。
――宮脇さんはこれまでさまざまな公共施設の設置等の大きなプロジェクトに携わってこられたと伺っています。今回の図書館移転整備事業はご経験の中でも難易度はどれくらいでしたか?
ひとつのプロジェクトがあってそれを前に進めていくっていうのは、段階段階で合意と承認を取っていかないといけないというのがありまして、今回もその時点でいろんな方に説明して合意していただいて承認をしていただいた、という部分があります。いちばん最初は私たち現場レベルの話なんですけど、紀伊國屋さん、シティプランさんも含めて協議をして、こういう方向性でやっていこう、と、そのあとで今度は荒尾市として承認を取る作業が出てまいります。市の方には、市の方向性を決める最高意思決定会議がありますので、そこに提案して市としての方針を決めていきます。次にまた、今度はお金の問題がありますので、予算の関係は議会の承認が必要になります。
これをひとつひとつクリアしていって納得してもらうために、その場その場でいろんな会議体に説明する必要性が出てまいります。今回はマスコミへの説明も含めて、いったい何回説明したんだろう?って覚えてないくらい何回も説明を繰り返してきました。その場面に合った資料作成というのもしてきましたので、それに対して相当な時間を費やしたというのがございます。また、今回官民連携で事業を進めていきましたので、民間のみなさんのスピードに対応していくというのが、非常に私たちも大変だったという部分もあるんですけど、このプロジェクトに関わっているみなさまの情熱をひしひしと感じながら、いろんなバックアップをいただきながら、前に進めることができたんじゃないかなと思っております。
いちばん大きかったのは、このプロジェクトに対して市民とか議会から反対意見が無かったということです。その点に関しては非常に救われましたし、私たちも、より質の高い図書館をつくっていかなければ、というところにも繋がっていったと思います。いくつか、これはどうする?あれはどうする?と検討した部分もあったんですけど、最終的には、私たちの意図するようなかたちにつくりあがったのではないかと思います。
関わったプロジェクトによっては市民の意見が分かれる、というパターンもありますので、そういうケースは市としても非常に労力を使う部分ではあるんですけど、今回のプロジェクトはまた違った意味でいろいろ私たちも汗を掻いて進めていきました。決して難易度が低かったというわけではございません。場面場面で私たちもしっかり汗を掻いてみなさんと一緒に協力しながらできたと思っております。今回はまた、いろんな関わっている方々の、私たち荒尾市にとってほんとに味方が多かったというのが非常に救われたところで、スムーズにいったところじゃないかと感じております。
――今回、基本コンセプトをはじめさまざまご提案されたアイデアの中で、実現しなかったけどこれだけはほんとうは実現させたかった、と残念に思われているアイデアはありますか?
基本的に我々の方針としましては、ほんとに残念だなと思うようなことはOKにしないというふうに決まっていますので、その線では、いちおうみなさんとお話して、これであれば大丈夫だなというものにおいて、はい大丈夫だと思います、というふうにお話はさせていただいています。なんですけれども、やっぱり、敢えて言うのであれば、未来へと続く炭鉱のコンセプトの部分が、少しこう、ぼやけてしまった、と言うと悪い言い方になってしまうんですれども、他の方向で言えば、もう少し穏やかなものになった、強過ぎるものではなくてほんとの今の荒尾の街みたいに、炭鉱はあるけれども、街の中に埋もれているけれどもそれでも歴史として残っていたりみなさまに愛されている、というのをなんとなく最終的には表現できた、という部分では良いんですけれども、元々のアイデアとしては、モールの中から連れてくる視線の抜けと言いますか、引き込まれてくる感が図書館であったり書店の中に続いていってそれがデジタルライブラリーに入ってくる、というのをやっぱり大事だと思っていたので、そこが出来なかったのが残念と言いますか、別の道もあったかなと思います。その他いろいろあって、コンセプトとしての炭鉱であったり干潟というものは残るんですけれども、元々の強いコンセプチュアルなものではなくて、もう少し穏やかなものになった、と言えます。
それで少し僕の個人的な考えとして反省しなきゃいけないなと思っている部分は、炭鉱というコンセプトにこだわり過ぎて、炭鉱そのもの、炭鉱の「中」にこだわり過ぎて、「外」の部分が見えていなかった、というのを少し反省しなきゃなと思ってるんですね。と言うのも、炭鉱っていうのは炭鉱の中だけではなくて、炭鉱の電車が通る線路であったり、その先にある港であったり、そこから続いていく世界であったり、というのがあると思うんですけれども、その広い部分に少し目を向けていれば、たとえば書店様が、どうしてももう少し明るい雰囲気が良い、というお話になった場合には、たとえばその港のコンセプトで書店をつくりあげていくという方向もあったのかな、と少し反省というか、思っています。ですので、もし今後書店の内装に手を加える、または陳列や見出しなどを検討する際には、港の雰囲気(現行の干潟ではなく)を出すようにしていただければと個人的には考えています。
――設計業務を通じて、やりたいことの中で川上さんと対立したことはありましたか?あったとしたら、どうやって乗り越えられましたか?
空間の設計者にとって、川上さんも同じだと思うんですが、やりたいことっていうのは、施主様ですとか利用していただくみなさまですとか、参画していただいているすべてのみなさまのいろいろのリクエストをいかに最適に表現した場所をつくるか、ということに尽きるかなと思いますので、そういった意味合いでは、もちろん川上さんとも対立ということはなかったと思いますし、むしろさまざまな意見の交換をしていく中で、より洗練された空間に磨き上げられていったのかなと感じています。その濃密な意見の交換の機会が今回非常にたくさんあったなという感じに私は受け取っておりますが、それがより良い今回の図書館づくりの実現に繋がったんじゃないのかなと個人的には感じております。
それで、特に意見の交換と修正みたいなものがたくさんあったのはエントランス周りですね。図書館とモールと書店とカフェの接点についてのありようということだったと思います。それについては、今も川上さんがおっしゃっていたように、もしかすると川上さんが目指す結果とは少し違っていたのかなという気もしますが、そうは言ってもみなさまのご意見の集約がある中で、参画いただいたすべての出店者様が一堂に会した柔軟に融合した三位一体の、モールを入れましたら四位一体の、しっかりとした整備が実現できているんじゃないかなと思っております。やりたいことは十分に表現、私はできたものと感じております。
――『学習まんが』の製作には監修者的な立場で深く関わられたと聞いています。いちばん苦労されたエピソードを教えてください。
調整するのがほんと難しいと言うか、その調整というのも、今回は漫画をつくるっていうことで、やはり分かりやすく伝えたいっていうのが一番の目標なんですけども、だからと言って分かりやすくし過ぎると歴史的に押さえてほしい部分が抜け落ちてしまうし、それをちゃんと伝えるために少しフィクションじゃないですけど脚色して書こうってし過ぎると、今度は歴史に詳しい方から「これは違うじゃないか」と言われてもいけないし、それから、今回漫画をつくるってなったときに宮崎家の子孫の方に報告に行ったんですけれども、そしたら「歴史的な事象の部分はちゃんと押さえておいてね」みたいなことを念を押されたりといったことがあったので、すごいバランスを取るのが難しくて。でもやはり漫画としての力っていうのを最大限に活かしたいっていうところがあったので、それを調整するのが、すごく、毎回ネームがあがってくるたびに悩んだかなあというふうには思います。
漫画家の木村直巳先生に救われた部分もありまして、最初どのくらいまで歴史の話をちゃんとこっちがお伝えしないといけないんだろう?っていうのもあったんですけど、ご自分で本とかも買っていろいろと調べてくださってたので、逆にネームで上がってきたときに「あれ?これどっからの引用だろう」みたいな感じで、こっちが忘れてるようなエピソードとかもネームにあって、第一章が上がってきたときはほぼほぼ直しはありませんでした。むしろこっちが期待する以上に、通常本の文章からでは見えてこない人々の感情の動きと言うか、やはりその間に人が動いているわけなのでその動かすだけのことが間にあったはずで、その描写みたいなのがすごく伝わると言うか、そういうのがちゃんと描かれていて。なので一章についてはほんとに殆ど手入れをせずに、二章とかもなかったですかね。ページ上逆に削ってもらわなきゃいけないみたいな感じになったのが申し訳ないな、というくらいの感じでした。
――今回のプロジェクトでは、窯元の会や有明高専はじめ、多くの地域の方々に対していちばん幅広く積極的に交渉に当たられたのが馬場さんだったとお見受けします。そのバイタリティの源はズバリ何でしたか?また、心折れかけたことはありましたか?
バイタリティはやっぱり、私は以前観光の部署にいたので、やっぱりいろんなことがたくさんあると楽しいじゃないですか。私は基本、すごく本が好きかと言われるとそうじゃない人間なので、私みたいな人が行きたくなる図書館ができればみんな来るんじゃなかなあっていう、私はそんな静かなところって好きではないし本を静かに読むタイプではないので、なんか本について話したりとかは楽しいと思うんですけど、私が行きたくなる図書館になれば楽しいかなあ、っていうのがありました。心折れかけそうになったのは、中平窯の西川さんが私の救世主なんですけれども、小代焼の陶板を発注するのがどんどんどんどん押し迫ってしまって、「超やばい」と思ってほんとにもう「助けて~」という感じで、小代焼窯元の会にお願いに行ったら、中平窯の西川さんはじめ、末安窯、ふもと窯、瑞穂窯、一先窯の窯元さんたちが「おもしろそう!」と言って引き受けてくださって。お蔭で大評判で、西川さんほんとにありがとうございました。すごくたくさんの小代焼をあの納期であのクォリティで作ってくださって、本当にありがとうございます。ほんとは壁に埋め込む予定だったんですけど、私の発注が遅くて外付けになったんですけれども、まあこれが逆に立体感があって、結果オーライになって。私の座右の銘です、結果オーライ。
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